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IZANAI総踊り祭り参加者大募集!! 

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2008年4月27日()

ついに、第一回となるIZANAI総踊り祭が開催されます!!

大感動の渦を巻き起こした、今年1月のIZANAI総おどり初め。
その感動が大きなエネルギーとなって、未来に向けての第一歩を踏み出します!!


『レヒーナ』シンポジウムツアー
生きる力の復興 講演ツアー~太陽の國から太陽の國へ~
香川講演会と共同開催!!


来たる新しい息吹の踊り
「コズミックラブ」IZANAI総踊りを本邦初踊りします!!


さぁ、新しい時代の幕開けを共に創りだし、共にその瞬間を分かち合いましょう!!



IZANAI総踊り祭では、
全国から、未来への祈りを込めて、現在(いま)を踊り切るIZANAIチームを募集しています!!

団体参加、個人参加どちらもOK!!

さらに、祭前日は特別企画あり!!
皆様のご参加お待ちしています!!



下記URLから、参加要項、申込書をダウンロードして、FAX又はご郵送ください。

IZANAI総踊り祭参加要項

参加申込書/チーム

参加申込書/個人



<IZANAI総踊り祭 参加に関するお問い合わせ>
SUGA IZANAI アカデミー 担当:國友アユミ、尾中
tel.0877-86-6786(6791)/fax.0877-86-6790
E-mail ayumi-love@suga-izanai.org

<IZANAI総踊り祭に関するお問い合わせ>
IZANAI総踊り祭実行委員会 担当:國友悠一朗
tel.0877-86-6786(6791)/fax.0877-86-6790
E-mail yu@suga-izanai.org

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レヒーナとの出会い - 國友悠一朗による 

 2006年十月のある日、友人のお宅にてレインボーキャンプという集まりがあった。全国から子供達を中心に本当に自分らしく生きることをその期間皆で実践し分かち合おうというものだ。
 わたしたちには『大人が何かに本気で打ち込む姿を見せてほしい』との依頼があり悠、慎、アユミの3人が踊りに伺った。

 いつものように真心込めて踊ることを意識していた。しかしその日私の魂を鷲づかみにする大きな出会いがあるとは想いもよらなかったのであった。

 全身全霊で踊った後『お疲れさまでした!!いや~~すばらしいですね!!!』と声をかけられた。満面の笑顔のどこか懐かしい純粋な光を感じる男性だった。児島 一裕さん、あとになって気づいたのだが私の旧姓小島はコジマとも読め、裕一郎と漢字も似ている。何かのサインなのであろう。その時感じたのは気持ちのいいフィーリングであった。

 彼は兵庫の高砂から紙芝居をもってやってきていた。ある物語を彼の二人の娘さんが絵を描き、彼が解りやすく編集した手作りでこころを感じるものだった。

 なんの説明も聞かぬまま紙芝居が始まった。真っ白なキャンバスのような私のこころにひとつのフレーズが響き渡ると同時にはっきりと刻まれた。それは『レヒーナ』という名前の響き。1948年から1968年までメキシコに確かに実在した女性。嘘のような真実の物語。知らず知らずのうちに引き込まれ、考えることもできず彼の一生懸命演じる言葉に没頭した。

 『ゆういちろうさん、すごいんだもの!!』屈託なく、読み終わった彼は開口一番そういった。私はその時何か運命を感じていた。彼は数日前メキシコから帰国していた。レヒーナの足跡を辿るたびをしてきたのだ。また翌年も訪れるつもりだという。詳しく話を聞かせてもらい、まっしぐらに須賀先生のもとに帰った。興奮して機関銃のように覚えてきたすべてを話した後、須賀は想いもよらない言葉を投げかけてきた。


『よし、メキシコいくで!!!』



 2007年は忙しい毎日のなか、メキシコ往きの準備を少しずつ整えていった。児島さんにアカデミーに来てもらい紙芝居を読んでもらった。レヒーナの小説を読みふけった。そして新潟総踊りの終了後、須賀と私は10日間のメキシコの旅に出た。

 最初の目的地はビジャエルモッサ、オルメカ文明の遺跡が数多く残るタバスコ州の州都。そこから高速バスで2時間半の山奥に突如小さな町が出現する。パレンケ、マヤ文明が最高潮に栄えたころの遺跡でアルベルトルスという考古学者によって発見された、ジャングルの山奥にひっそりとたたずむ大遺跡である。

 早朝須賀先生とともに遺跡の中心パカル王墓の前で踊った。そのつもりできていた。誰もいない静かな日の出直後を見計らって一人ずつ踊った。何かが起こる、感じるを超えてただ踊らせていただいた。

 パレンケに2泊したあと14時間バスに乗り、いよいよ目指すはメキシコシティー。児島さん達と合流し、レヒーナの小説の翻訳者竹西知恵子さんと初めてお会いした。

 一週間の滞在は知恵子さんのお宅にホームステイ、既に彼女が旅程を用意してくれていた。まず訪れたのはメキシコ最大の遺跡、テオティワカンだ。太陽、月のピラミッドを有し、ケツアルコルトルという聖獣(知恵子さん曰くこれはドラゴンだという、わたしもそう感じた)を奉る神殿などがあり四方をこれまた聖山に囲まれた平野にある大都市である。オルメカ、アステカ、マヤ、サポテカ文明がそれぞれ首都にして使ってきたのだという。
 そこでメキシコのシャーマンといわれる方々と合流してテオティワカンの死者の道といわれる道を皆で一列になり、まるでダンスするかのように蛇行しながら行進した。意味を考えるよりも心から純粋に儀式に参加しているハッキリとした実感があった。1時間かけて太陽のピラミッドの頂上に到着した。いつの間にか小雨が降ってきた。遠くで稲妻が落ちている。登頂の瞬間から汗ばむ陽気がうそのように変化したのだ。よく理解は出来ないが、大自然の力、不思議な運命、訪れた喜びが一度に押し寄せてきた。神秘的ななにかを感じたのである。

 レヒーナもここで、ピラミッドの頂上で仲間と出会い自分の今生での役目を思い出した。自分が女王でありメキシコをいい世の中に変革する為に産まれてきたのだと。わたし達も静かに祈りを捧げていた。レヒーナに想いを馳せながら。


 当時実際にレヒーナ達が行進したルートをその記念日に歩いた。彼女の生き様を後の世に伝えようと39年間守り続けている方々とご一緒させていただいた。
 その日と同じグアダルーペ大聖堂よりトラテロルコというアステカ時代の遺跡跡まで沈黙を守り歩いた。時間にして1時間、おのおの想いをもって、祈りを込めて行進していった。トラテロルコが見えてきた時『ここか!!!』なんともいえない気持ちになった。400人以上の方々がここで!!

 皆でレヒーナを始めとする方々に祈りをささげた。そして最後にレヒーナが凶弾に倒れた場所をみた。それは女性性の神を奉る祭壇であった。須賀先生は泣いていた。同じ春分の日に生まれて純粋に世のため、人のためと願い生きた一人の女性に深く繋がったのだろう。まだあれからわずか39年である。


 メキシコシティーの真ん中にチャプルテペックの森がある。ここは太古の昔からこの土地、国を守る中心のような場所である。(日本でいう産土神、土地の守り神が存在するようだ。)
 だれでも自由に出入りでき、市民の憩いのオアシスのような場所であるが実は知る人ぞ知るようにすべてにおいて儀式があり、私達は知恵子さんのガイドに乗っ取って入場した。そこで軍曹と呼ばれていた枯れたメキシコ杉にであった。レヒーナが亡くなる迄は長い間その森の中心にあり彼女達とともにメキシコを守っていた。そして1968年、10月2日に突如その息づかいを止めてしまったのだ。その森にはもうひとつ古いお城の跡がある。その昔ここには砦があり、士官学校に通う年端もいかない子供達しか残っていなかった時アメリカの軍隊がここを攻めて来たそうだ。力でねじ伏せられなす術がなくなった時、一人の子供が『僕たちの国を渡すものか!!!』と叫びながら砦の上から国旗を抱きかかえ飛び降りたそうだ。彼の落ちた場所で祈った。すごい勇気と純粋さである。彼の想いは百年以上たった今でもメキシコ中の誇りとして生きづいている。感服した。彼のまっすぐなこころに深い感動を覚えた。
また帰ってきたい。こころからそう願った。そして森を出た時全身に満ちあふれるエネルギーを感じていた。


 1968年、レヒーナが生まれたレイエス村を訪れた。10月2日の命日に村の教会で一晩中唄を歌い踊り、語り合い、彼女を想い、祈るのだ。彼女の生家にも訪れた。メキシコ中から集まる人々とともに掃除をした。その最中レヒーナの写真をみた。唯一のこるレヒーナの顔写真。残りはすべて見つかっていない。彼女が亡くなってすぐの写真であった。トラテロルコの祭壇で血まみれになった顔であったがすべてやり終えたおだやかで美しい、眠っているような顔であった。衝撃だった。彼女の存在が一気に近づいてきた。純粋に自分のこころに情熱が沸き起こってきた。
 
自分のミコトモチを果たしてゆこう!!!と。

 教会にてセレモニーが始まった。おのおのレヒーナへの祈りを様々な方法で表現していった。
 須賀先生は唄を歌い続けていた。IZANAIの唄だった。
そしてアマテルを踊らせていただく番になった。白い衣装に赤いハチマキをしめて全身全霊でIZANAIアマテルを踊った。我を忘れたように踊った。少しでも役に立ちたい。ただそんな気持ちだった。理由は解らない。でもあの時そんなものは必要でなかった。
最後に両手を挙げる時こころから声が溢れ出た。
『To Regina!!!!,』(レヒーナの為に!!!!)。

 次の日レヒーナのミュージカルの制作者、作曲家アントニオカルボさんとお会いした。彼は私達がこの旅で経験し、感じたことすべてをお話しした後こう言った。『レヒーナのミュージカルに関する、権利、曲などすべてお使いください。』すべて自分ではなくレヒーナが創ったのだとはっきりおっしゃっていた。後に彼がメキシコでのミュージカル完成迄の個人的な日記までも私達に公開してくださった。生きる力、叡智が脈々と息づく内容であった。これまた嘘のような本当の話である。
 IZANAI流レヒーナの制作がこれから始まってゆく。大きな喜びとともに責任を感じた。しかし何という名誉なのであろう。命がけでやらせていただきます。
 

 最後にレヒーナの作者、アントニオ.ベラスコ.ピーニャさんのお宅に伺った。そこはレヒーナ達のメキシコ覚醒のための活動の拠点となった場所であった。
パレンケ遺跡の発掘者の息子、アルベルトルスさんも一緒だ。彼は教会でのアマテルをみて私達のレヒーナを見たいと言ってくれた。私のことをレヒーノだ!!と。現在はブラジルのアマゾンでエココミュニティーの中心にいる方だ。ベラスコさんから絶大な信頼をよせられ、ベラスコさんの跡取り、証人であると言われる方である。深い叡智を感じる美しい方である。
ベラスコさんはとてもやわらかい優しい印象の方だった。初老のどことなくかわいらしさも感じるが深い愛を肌で感じることができた。私達は敬意が自然と湧き出てきた。こころを込めて質問をさせていただいた。

『あなたが1968年にメキシコで起こったことの生き証人になる方ですか?』

『はい。』

『レヒーナの小説の中身はベラスコさんが創作されたものはありますか?』

『すべて真実に基づいています。レヒーナから直接話を聞き、このように書き記すことを約束したのです。』


 このとき嘘のような本当の話が実際にあると確信した。ショックであった。感動した物語が、すべて真実であった。彼の目の奥から山や谷を乗り越えてきた強さを感じ始めていた。(もっとたくさんのことをお聞きしたい。)そう想った瞬間に児島さんがベラスコさんに向かい情熱を込めてある言葉を投げかけた。

『ベラスコさん、日本に来てください。くる必要があるはずです!!!!』

ベラスコさんは微笑みをたたえながらこう答えた。
『シー。(解りました)』


 最後にレヒーナの部屋を見たいと感じた。許可を取り家の二階の一室に向かった。ドアを開けると須賀先生が座っていた。そして涙を流していた。私達は抱き合い自然と言葉があふれてきた。
『やらせていただきましょう!!!!』
一人がやっと眠ることが出来るベッドと彼女がチベットから持ってきた女神タラの掛け軸、そして褐色の女神グアダルーペの壁掛け、小さな一段の物入れ、これだけしかない小さな部屋。20歳の女性がここで暮らしていた事実。壮絶な人生、運命を受け入れミコトモチを果たした女王レヒーナの暮らした場所。
言葉にできなかった。真実とは何だろうか!!人生の本質とは!!!

 須賀はこの部屋で瞑想をしていた。すると何かが自分をやさしく包んでくれたのを感じたそうだ。愛そのものであったそうだ。はっきりレヒーナと感じた時わたしが部屋のドアを開けたそうだ。

 あの日あの部屋で感じた想いはこれまでIZANAIで踊り続け意識し続けてきたことと本質的に同じだ。こころがそう言っている。あの当時唄や踊りを使い人々と繋がり、最後は命を捧げた人。帰国前にこんな話を聞いた。

『レヒーナがこういっています。あの時私達はメキシコ覚醒の為に、世界の女性性を目覚めさせる為に最後は命を差し出しました。しかし皆さんの時代は違います。生きていい世を創ってください。アートでそれを行ってください。』


 IZANAI総おどりが立ち上がります。皆さんとともに創る祭りです。この世の中で祭りが果たす役目、こころで感じていることと想います。やりましょう!!共にやらせていただきましょう!!!こーちゃんが東京で最前線でつくりあげようとしていた祭り、レヒーナやこーちゃんとともに今この瞬間よりも次の瞬間が踊ることによって美しく進化してゆく、祭りには踊りにはそんな力があります。IZANAIを踊り、願い、祈り、こころがある祭りを創りましょう!!

 太陽の国から、太陽の国へエネルギーのたすきは渡されました。

 さあ踊りだしましょう!!!そして伝えて行きましょう!!!
 この想いを胸に抱き続けながら。

 いつもこころに太陽を!!!!



 國友 悠一朗



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